2016年10月17日 第25回大会に関する特別寄稿文

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公開日:
2016年10月17日
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協会から 大会情報

2016年10月17日 第25回大会に関する特別寄稿文

「(特別寄稿)みんなで一緒に共生できる社会に変えていくために」は
『点字ジャーナル』2016年8月号(通巻第555号)に掲載されたものです。
 この記事の掲載にあたっては、点字ジャーナルと執筆者古橋友則氏の
許可を得て、協会ホームページに掲載いたします。

(特別寄稿)
みんなで一緒に共生できる社会に変えていくために
―― 第25回視覚リハ静岡大会から ――

大会事務局長 古橋友則<フルハシ・トモノリ>

はじめに

視覚障害リハビリテーション協会(視覚リハ協・吉野由美子会長)は、視覚障害者(児)に対する、福祉・教育・職業・医療等の分野におけるリハビリテーションに関心をもつ者の相互の学際的交流を図り、理解を深めるとともに、指導技術の向上を図る活動を通して、視覚障害者(児)のリハビリテーションの発展・普及に寄与することを目的とし1992年に設立された。
視覚リハ協の中心事業として年に一度の研究発表大会を開催しているが、第17回大会までは関東や関西の主要都市で交互開催をすることがほとんどで、企画、運営についても視覚リハ協事務局を中心にして行っていた。
しかし、地方の視覚障害リハビリテーションを活性化させようとの目的から、第18回高知大会からは地元の有志が実行委員会を組織し、企画から予算管理まですべての運営を行う形となった。それにより、地域の抱える課題や取り組みを大会プログラムに取り入れるなど、地域色豊かな大会が開催されるようになってきた。
第25回の研究発表大会の開催を吉野会長から打診されたのは、ちょうど2年前の第23回京都大会を1か月後に控えたころで、当時、私は視覚リハ協の理事と事務局を担当しており、開催地実行委員の苦労を目にしてきたので、すぐに「静岡でやりたい」という思いには至らなかった。しかしながら、地方開催になってからの大会を見ると、どの地域でも実行委員がまとまり、ひとつの目標を達成させるために連携している姿を見ていたので、静岡にとっても今回の話は大きなチャンスかもしれないと一方では思い、静岡県内の医療、教育、福祉の関係者で組織する、「静岡視覚障害者福祉推進協議会(静視協<セイシキョウ>)」の会長である、静岡市のさくら眼科松久充子<マツヒサ・アツコ>院長に相談した。
先生からはすぐに「これは県内の視覚リハを前進させる絶好の機会であるから前向きに検討しましょう」という返事をいただき、受け入れを迷っていた私の不安など一蹴された。以後、大会を終えるまでには様々な難題、意見の相違もあったが、松久大会長の前向きで一貫した思いが、私を始め実行委員を勇気づけ、ひとつにまとめてきたことは特筆すべきことである。
また、実行委員会を組織するにあたっては、前述の静視協が母体となることも考えられたが、今回の大会を静岡が一つにまとまるチャンスととらえると、静視協のみで受けるのではなく、広く県内の施設・団体に声をかけて、有志の実行委員会を作るべきと思っていたが、その思いは松久先生も同じで、大会まで1年半となった平成26年12月に28名の有志が集まり、静岡大会実行委員会が発足した。そのような経緯があるので、本報告の前に松久充子大会長から「大会への思い」を特別に記してもらうことにした。

大会への思い

平成28年6月17日(金)~19日(日)、静岡市において第25回視覚障害リハビリテーション研究発表大会を開催し、多くの面で過去最高の成果を残すことができた。ただ100題もの発表者に思いを十分伝えていただける場を提供できたか、参加者のひとりひとりが収穫を持って帰っていただけたか、実行委員からの静岡発信の思いを十分お伝えできたか、と思い返している。
静岡県は多くの地方と同じように視覚障害のリハビリ施設がない。そのため、41年前に故・市川健三静岡県眼科医会会長が発起人となり、視覚障害者・児の社会参加を支援するために医療・教育・福祉・行政の連携を図る静岡視覚障害者福祉推進協議会(静視協)をたちあげた。静視協は県内の視覚障害者を支援するほとんどの職種・組織に属する個人・団体で構成され、年1回の視覚障害福祉機器展・各種相談会・講演会と、年2~3回の研修会を開催しているが、各職種ともに、静岡県の視覚障害者をめぐる様々な課題を抱えている。
本大会は、静視協の有志に新たなメンバーを加えて実行委員会を構成し、県内の支援の輪を次のステージに向けて進化させたいとの思いでお引き受けをした。
テーマは「みんなで一緒に!Change & Union(チェンジアンドユニオン)」。これは、みんなで一緒に連携して障害の種類や有無にかかわらず共生できる社会に変えていきたいとの思いを込めている。
実行委員は眼科医・視能訓練士・歩行訓練士・眼鏡店・視覚特別支援学校教諭と元教諭・視覚障害福祉施設関係者・当事者団体・当事者などの視覚障害に関わる多職種から参加して、プログラム・抄録編集・学術展示・静岡発信企画・会場運営・機器展運営・災害対策・マッサージコーナー・懇親会・ボランティア講習など、これまでの経験を生かした得意分野を分担することとした。28名の実行委員の思いが隅々まで込められたものに出来上がっていたと自負している。
私の担当のひとつ、眼科医対策は、地元の眼科医に視覚リハについての知識を広めるために日本眼科学会眼科専門医と日本医師会生涯教育単位認定事業に申請した。眼科専門医は延べ115名、生涯教育は延べ79名が申請し、過去最高の眼科医参加数だったと思う。眼科医は治療だけでなく、当事者の学習・就労・生活の困難さに気が付くことが大切なのである。
朝倉メガネの山中幸宏<ヤマナカ・ユキヒロ>様のご協力の「見える体験」コーナーでは視覚障害シミュレーションでのロービジョンエイドで見える体験を支援して、静岡県の視能訓練士の知識の底上げをした。
製薬会社から労務支援延べ90名、専門学校と大学からのボランティア延べ100名には、視覚障害者の誘導法などを事前にレクチャーし、経験していただいた。またタクシー会社や宿泊ホテルでの「おもてなし講習会」は地元マスコミにも取り上げられ好評であった。
今後は、これらの経験を礎にして、静岡県のみんなで一緒にChange & Unionの実現に向けて頑張っていきたい。(大会長松久充子さくら眼科院長)


熊本地震ですばやく支援

第25回視覚リハ大会の6月17日のプログラムでは、熊本地震における視覚障害被災者支援の報告が行われた。
熊本地震においては、4月16日未明に起こった本震の次の日には早くも「現地の拠点」が熊本県点字図書館内に設置された。さらに視覚リハ協によって4月18日には北九州の歩行訓練士が熊本に入って支援準備を始めると同時に現地支援の歩行訓練士や相談支援員の募集を始め、合計31名の視覚障害の専門家が現地支援を行った。これらの団体間のコーディネートは、東日本大震災でも支援の中心となった日本盲人福祉委員会(日盲委・竹下義樹理事長)災害担当の加藤俊和氏が行った。
今回は視覚障害者のリストの準備が非常に早く、4月18日に熊本入りした歩行訓練士は、熊本県視覚障がい者協会の村上芳継<ムラカミ・ヨシツグ>会長らとともに身障者手帳リストの提供を求めて熊本県との折衝を始め、4月22日には県下被災地1~3級など約1900名の資料を入手することができた。ただ、それらは紙媒体であったため、休校となっていた熊本県立盲学校の多数の先生方が協力して手作業で入力が行われた。
防災士などの多くの資格も持つ岐阜アソシアの棚橋公郎<タナハシ・キミオ>氏は、4月21日の早朝に熊本入りして現地支援を行った。被害が深刻な益城町、南阿蘇村などは、道路もずたずたで50km以上も迂回が必要だったという。居住地を探し、避難所を探し、車の中で寝泊まりしている方々を見つけ出しては個々に必要な支援を聞き出し、支援に入っている団体・機関などとの結びつきを図っていった。続いて支援に入ったのは、宮城県から鹿児島県までの全国の歩行訓練士、相談支援員などで、交通費等は日盲委が負担したが、ほとんどがボランティアで被災者を訪ね回り、熊本県下被災市町村などリストアップされた約1900名の状況確認と支援をほぼ終了し、5月14日に当初の支援活動を終了した。
そのあとも深刻化する生活を含めた支援が必要なことはもちろんであり、「息の長い継続した現地支援」については、最後の週に現地に入った大阪府の堺市立健康福祉プラザの原田敦史<ハラタ・アツシ>氏が中心になった。熊本県や市、団体、施設、眼科医、盲学校などによる「現地の支援ネットワーク」が作られ、特に継続支援の必要な40名ほどの方々をはじめ、今後の支援を担っていただく体制が災害から1か月後にできたことは画期的なことであった。なお、5月10日からは、日本相談支援専門員協会やJDF(日本障害フォーラム)が全障害者・高齢者を対象に熊本市内を回り初めた。
大災害が起こったとき、視覚障害者にとって最も大きな問題は、周囲の急変である。家の中も避難路も避難所も、今までなんとか覚えていた環境が大きく急変した中に放り出され、視覚障害者は何もできなくなってしまう。だからこそ、それらの対応に熟知した相談員等の個別支援が不可欠である。だが、東日本大震災では支援開始が1か月後、大多数の視覚障害者の支援は3か月から1年も経ってからとなってしまった。
熊本地震については最も過酷で支援の必要な直後から取り組みができ、今後への「つなぎ」も含めて取り組めたことは画期的であった。しかし、その裏で過度な個人負担となったことなど早期からの取り組みにさまざまな問題も生じていた。もちろん大災害は起こってほしくはないが、起こった時に少しでもその影響を少なくする体制のあり方が求められていると言えよう。

大会内容

今回の静岡大会は、有料参加者数467名、口頭・ポスター発表演題数98題、機器展出展業者数45社(58ブース)、機器展来場者数1,500名と、いずれも過去最高数の参加で、成功裏に終えることができた。
特筆すべき企画としては、ポスター発表において研究発表と活動報告を分け、普段の取り組みや活動を報告という形で発表する枠を設けたことと、6つの静岡企画を実施したことがあげられる。
特に静岡企画においては、静岡文化芸術大学の学生が、地元で働く視覚障害の方から話を聞きながら発想・作成した自助具を展示し、学生が自ら説明をおこなったブースのほか、お役立ちiPadアプリの紹介ブースや、生活の工夫や裏技をまとめて紹介するブース、デジタル版抄録集(ホームページ形式・タグ付けPDF形式・UDブラウザ形式)を、iPadを用いて比較したりできるブースなどを設け、地元の社会資源を巻き込んだ企画に、参加者の皆さんからも前向きな評価をいただいた。
そのほか静岡企画の一環として、全国から大会時に静岡市内に宿泊される視覚障害者の方が心地よく滞在していただけるように、ホテルやタクシー会社への「おもてなし講習会」を実施したり、機器展やポスター発表の場で、口頭による説明を希望される方がすぐにわかるように、ネームカードに差し込んで掲示できる「ボイスサインカード」を作成したりと、だれでも快適に大会参加ができるよう新たな試行的な取り組みも行った。
ランチョンセミナーにおいては2社のご協賛をいただき、土・日曜日の2日間提供をした。提供する弁当のメニューについては、「静岡らしさ」と、講演のテーマでもあった「体に良い」ということ、そして視覚障害者にとって「食べやすいか」ということも考慮し、何度も変更をしながら4回の試食会を行い、視覚障害者からの意見も聞きながら決めていった。当日は講演内容とともに弁当についても好評をいただくことができた。
このように現在では地域の実行委員による大会企画・運営をおこなっているが、一方で視覚リハ協として継続して検討する課題や、より大きな視点で考える課題が見えてきた。
そこで視覚リハ協主催プログラムを大会期間中に設け3年間試行することとし、静岡大会では金曜日の午後、開会式の終了後に実施をした。3年間を通しての総合テーマは『視覚リハ未来への挑戦』とし、第1部は、『視覚リハ自分ごとプロジェクト』として特定の領域(今年度は高齢者)を取り上げ、宿題報告と討論形式で行い、第2部は講義形式で、臨床研究手法を『研究トラの巻』シリーズで実施した。

まとめ

静岡県で初めての開催となった今回の研究発表大会は、我々実行委員にとっても、全国の動向を知る良い機会となり、県内の課題が明確になっただけでなく、全国に誇れる人材が多くいることを改めて認識することができた。
今後はこの大会を機に、それらの人材が一つにまとまり、静岡県から全国に発信できる事業を作り上げていくことが必要である。
大会が終わって一週間がたっても、静岡県内の施設には新聞記事やニュースを見て知ったという視覚障害者の方からの問い合わせが入ってきている。
一人でも多くの視覚障害者が、少しでも早く適切な支援を受けられるようになることが求められているが、今回私たちが蒔いた種はさっそく芽を出し始めている。
 (NPO法人六星 ウイズ蜆塚<シジミズカ>施設長)